世界遺産高野山を歩く
11月17日~20日みどる山の会25名で高野山への表参道である「町石道(チョウイシミチ)」と「奥の院」を歩いてきました。
まず18日九度山慈尊院から高野山入口の「大門」まで180町19キロを歩きました。出発8時25分から宿坊遍照尊院到着17時20分 約9時間(標高差600m)の歩きでした。
慈尊院
高野山の玄関口で、女人禁制のため弘法大師の母親がここに住まいしたという。
180番町石
慈尊院から高野山までは
「町石道(チョウセキミチ)といわれ、道沿いに一町ごとに町石(卒塔婆)が建てられ216本たてられている。
玄関口の慈尊院にある町石は180番から始まっていた。
登りはじめは果樹畑の中を歩きましした。丁度柿の葉が紅葉してました。紀伊半島の山はほとんど杉ばかりで紅葉はめずらしし。
町石(チョウセキ)が2本立っていた。長い年月の間に無くなった町石は再度作られたが、埋もれていた町石が発見されたため、2本となったとか。
二つ鳥居 鳥居が2ツあるのも珍しい。
昼食後、元気を取り戻して、ガイドの中野先達(ガイド)を先頭に出発した
この参詣道には「町石(チョウセキ)」の他「
里石」もあった。1里から4里まで、なぜ立っているのか理由は知らない。この3里石は72番町石にあった。4里石は36番にあり残り4キロと一致する。
珍しく紅葉する木が1本立っていた。
最後の登りも笑顔
高野山入口の「大門」に到着。高野山開創当初は鳥居だったそうだが、現在の建物になったのは江戸時代1705年。
17時20分やっと
本日の宿「遍照尊院」着いた。
宿の従業員はお坊さんで(宿坊=お寺が宿)、食事はもちろん「精進料理」だった。
夜の散歩・・・ライトアップされた根本大堂と紅葉
19日朝、紅葉の道を歩く
高野山の中でも信仰の中心となる聖域は壇上伽藍と奥の院ですが、奥の院は約2キロの参道に20万基以上の名だたる武将・大名の墓碑があり、私の先祖である
?「浅野家の墓」もあった。
高野山の中心のお寺「金剛峰寺(コンゴウブジ)」
高野山を訪れたのは3度目。宿坊に泊まったのは2度目、
最初は2002年 12月31日雪の降る寒い日だった。
いつの日か四国八十八カ所巡りをした時は,再び高野山を訪れることだろう。
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